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福岡地方裁判所 昭和49年(行ウ)38号 判決

原告

林川昭

原告

大熊孝

右両名訴訟代理人弁護士

谷川宮太郎

吉田雄策

石井将

市川俊司

被告

福岡県教育委員会

右代表者委員長

波多野一治

右訴訟代理人弁護士

国府敏男

石原輝

平井二郎

主文

一  原告らの請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は、原告らの負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告が原告らに対してした昭和四九年八月一二日付懲戒免職処分をいずれも取り消す。

2  訴訟費用は、被告の負担とする。

二  請求の趣旨に対する答弁

主文と同旨

第二当事者の主張

一  請求の原因

1  原告林川昭(以下「原告林川」という。)は、福岡県立築上東高等学校(以下「築上東高校」という。)に勤務する教諭、原告大熊孝(以下「原告大熊」という。)は、福岡県立浮羽工業高等学校(以下「浮羽工業高校」という。)に勤務する実習助手で、いずれも被告を任命権者とする地方公務員の地位にあった者である。

2  被告は、原告らに対し、昭和四九年八月一二日付で懲戒免職処分(以下「本件各処分」という。)を行った。

3  しかしながら、原告らに対する本件各処分はいずれも違法であるから、その取消しを求める。

二  請求の原因に対する認否

1  請求の原因1及び同2の事実は認める。

2  同3は否認する。

三  抗弁

1  原告林川について

同原告は、勤務していた築上東高校において、昭和四八年一二月二八日から昭和四九年五月二三日までの間、勤務時間中又は研修すべき時間中、当時上司であった同校の内尾捨三郎校長(以下「内尾校長」という。)に対して次のような暴行、脅迫を加え、また、傷害を負わせるなどした。

(一) 昭和四八年一二月二八日午後二時ころ、同校職員とともに同校長に対して話合いを強要し、同校長がこれを拒絶するや、「さあ、隣の談話室に連れて行こうや。」と他の職員に呼びかけ、押したり引いたりなどの暴力的行為によって同校長を談話室(応接室)に連れ込み、同三時一〇分過ぎころまで、同室の出入口を封鎖して同校長を軟禁状態にした。

(二) 昭和四九年一月八日午前八時三〇分ころから同八時五〇分ころまでの間、同校玄関付近において、同校職員らとともに、登校しようとする同校長の進路に立ちふさがり、同校長が職員らの間をかいくぐって進もうとするのに対し、「何を横着するか、こい、俺がたたきのめしてやる。」などと脅迫的言辞を浴びせながら同校長の登校を妨害した。

また、同日午前九時ころから同一〇時ころまでの間、同校職員らとともに同校長に対して押したり引いたりする暴力的行為を加えた上同校長を談話室に連れ込んで話合を強要したが、その際、同校長をソファーに突き倒すなどの暴行を加え、かつ、同校長が同原告の行為を非難したのに対し、「突いたのが悪いか、よし、今から本当にぶん殴ってやる。」などと脅迫的言辞を弄するとともに、手を振って威力を示し、同校長を畏怖させた。

(三) 同月二五日午前八時三〇分ころ、職員室において同校長が同原告に対し、同月二八日か二九日に福岡県教育庁教職員課(以下「教職員課」という。)に出頭するよう指示した際、「お前は何をいうか。」などと暴言を吐いた上同校長の左胸を右手で強く突くなどの暴行を加えた。

(四) 同月二八日午前九時一〇分ころから同一〇時ころまでの間、事務室において、同校職員とともに同校長に対して話合いを強要し、かつ、同校長を談話室に連れ込もうとした際、椅子に掛けていた同校長の右腕を両手で強引に引っ張り上げたり、同校長の右足首を蹴るなどの暴行を加え、更に、同校長の顔面にライターを近づけて点火するなどして同校長を畏怖させ、また、同一〇時ころ、「さあ、俺と話そうや、さあこい。」といって、再び同校長の右腕を両腕で抱え込み、他の職員とともに、押したり引いたりする暴力的行為によって談話室に連れ込もうとした。

(五) 同年三月二六日午前一〇時三〇分ころから同一一時二〇分ころまでの間、校長室において、同校職員とともに同校長と話合いをしていた際、同一〇時五〇分ころ、同校長が、「話合いはこれまでにする。」といったことに怒り、「お前みたいな者を打ち殺すのはわけはないんだぞ。」などと脅迫的言辞を弄するとともに、同校長が掛けているソファーを蹴ったり、右手でクッションを振り上げるなどの暴行を加えた。

(六) 同年四月一〇日午後一時二〇分ころから同一時四五分ころまでの間、校長室において、同校職員とともに同校長に対して話合いを強要した際、同校長をソファーに突き倒すなどの暴行を加えた。

(七) 同年五月二三日午後三時四〇分ころから同四時一〇分ころまでの間、事務室において、同校職員とともに同校長に対して話合いを強要した際、右腕を同校長の首に巻き付けて引っ張るなどの暴行を加え、同校長に全治約三〇日間の加療を要する頸椎捻挫の傷害を負わせた。

2  原告大熊について

同原告は、同人が勤務していた浮羽工業高校において、昭和四八年三月二日から昭和四九年六月二四日までの間、勤務時間中又は勤務時間外、当時上司であった同校の中村正義校長(以下「中村校長」という。)及び同校後藤實教頭(以下「後藤教頭」という。)に対して、次のような暴行を加えるなどした。

(一) 昭和四八年三月二日午後一時三〇分ころから同八時三〇分ころまでの間、校長室において、同校職員らが中村校長に対して話合いを強要した際、同校長が掛けている椅子を蹴ったり、手でゆさぶり動かしたり、椅子ごと転倒させたりするなどの暴行を加え、同校長を畏怖させた。

(二) 同月一三日午後三時ころから校長室において、中村校長が主宰する校務委員会が開催されていたとき、勝手に同室に入り込み、机を持ち出したり椅子を持ち込んだりして会議を妨害し、かつ、退室しようとする同校長の腕をつかむなどの暴行を加えて、同校長の退室を阻止し、同校職員らとともに同七時四〇分ころまで同校長を軟禁状態にし、その間、同校長が掛けている椅子を強く蹴るなどの暴行を加えた。

(三) 同年四月三日午後一〇時ころから翌四日午前一一時ころまでの間、前同様に同校職員とともに会議室において、中村校長に対し交渉を強要し、その間、同校長の机をたたいたり、同校長が掛けている椅子を蹴ったり、同校長の身体を突いたり、耳元で大声でどなるなどの暴行を加え、かつ、退室しようとする同校長を同校職員らとともに実力で阻止し、更には同校長の上衣左袖をほころばせるなどの暴行を加えた。

(四) 同年六月二五日午後五時ころから同八時ころまでの間、会議室において、中村校長と同校職員が話合いをした際、同校長が掛けている椅子を蹴るなどの暴行を加え、かつ、大声をあげてどなるなどして同校長を畏怖させた。

(五) 同年七月二日午後四時ころから同五時二〇分ころまでの間、会議室において、中村校長と同校職員とが話合いをした際、同校長が所持していたクラブ活動の手引書を取り上げてこれで同校長の机上を数回たたいたり、同校長が掛けている椅子を蹴るなどの暴行を加えた。

(六) 昭和四九年三月二九日午前一一時四〇分ころ、福岡県教育庁前庭において、昭和四九年度教育指導計画書の審査を受けるため来庁した中村校長をつかまえ、同校職員らとともに右前庭内の売店北側の木陰に引きずり込み、同校長の鞄を強奪して、当日同校長が被告に提出すべき公文書を抜き取り、公務の遂行を妨害した。

(七) 同月三〇日午前一一時四〇分ころから午後三時ころまでの間、福岡県教育庁前庭において、前同様に教育指導計画書の審査を受けるため、来庁した中村校長を同校職員らとともに取り囲むなど実力をもって同校長の審査場への入庁を阻止して、公務の遂行を妨害した。その間、同校長の鞄を取り上げようとしたり、同校長の背中や脇腹をこづくなどの暴行を加えた。更に、同日午後五時ころから同九時ころまでの間、同所において、同校長の襟首をつかんで後方に引いたり、その顎を手で突き上げるなどの暴行を加えた。

(八) 同年四月一〇日午後五時一五分ころから同五時四五分ころまでの間、中村校長及び後藤教頭が同校職員との話合いを打ち切って会議室から退出しようとするのを同校職員とともに妨害し、その際、同校長を羽がい絞めにしたり、また、同教頭の上衣の左襟をつかんでゆさぶったり、足を数回蹴るなどの暴行を加えた。

(九) 同年五月二日午後二時五〇分ころ、同校建築科職員室前の廊下において、中村校長を同校職員らとともに取り囲み、押したり、横から突いたり、コンクリート柱に身体をぶっつけるなどの暴行を加えた。そして、引き続き同三時ころから校長室で話合いを強要し、その際、同校長に対し、「バカムラ、お前はウスバカではないか、俺の前で辞表を書け。」などの侮辱的言辞を浴びせながら、同校長が掛けている椅子を片側から持ち上げ床に落としたり、同校長が所持している書類を取り上げようとするなどの暴行を加えた。

(一〇) 同年六月二四日午後七時三〇分ころから同一二時ころまでの間、校長室において、同校職員とともに中村校長に対し交渉を強要した際、同校長の耳元で大声でどなったり、同校長の眼鏡を取ったり、同校職員らとともに同校長の掛けている椅子を押したり引いたりし、更に、同校長の背中を押しやったり、退出を妨害したりするなどの暴行を加えた。

3  以上の原告らの行為は、地方公務員法(以下「地公法」という。)二九条一項三号に規定する懲戒事由に該当し、その態様は悪質かつ執拗であるから懲戒免職処分にしたもので、右処分は極めて妥当であり、適法かつ有効である。

なお、原告大熊についての処分理由(七)及び(八)の各事実については、昭和四九年九月二日、福岡地方裁判所に対し、暴行容疑で公訴が提起され(同裁判所昭和四九年(わ)第五〇一号)同裁判所の判決において、罰金刑が言い渡され、同判決は確定している。

四  抗弁に対する原告らの認否

1  原告林川関係

(1) 抗弁1本文の事実は否認する。

(2) 同1(一)の事実は否認する。

(3) 同1(二)のうち昭和四九年一月八日午前八時三〇分ころ、同校玄関付近で同原告が同校長に向かって発言したことが一時あったこと、その後、談話室で分会員である同校職員らと同校長との話合いが持たれ、同原告が一時その場におり発言したことがあることは認め、その余の事実は否認する。

(4) 同1(三)のうち、被告主張の日時に、同校長が同原告に対し、同月二八日か二九日に被告のもとに行くように言ったことがあることは認め、その余の事実は否認する。

(5) 同1(四)のうち、昭和四九年一月二八日、同原告を含む同校職員らが事務室で同校長に対して話合いを求めたこと、その際同原告が自分のライターを点火したことは認め、その余の事実は否認する。同原告は、同校長が口に煙草をくわえ、しきりにマッチを捜している様子であったので、自分のライターで同校長の煙草に火をつけてやったにすぎない。

(6) 同1(五)のうち、被告主張の日時、場所において、同原告を含む同校職員らと同校長の間で話合いが持たれたことは認め、その余の事実は否認する。

(7) 同1(六)のうち、昭和四九年四月一〇日午後一時二〇分ころ、同校職員らが校長室に行き、同校長に対して話合いを申入れたことは認め、その余の事実は否認する。

なお、同原告は、その間職員室におり、校長室に行ったことはなく、同日午後一時四〇分ころ帰宅して、同日学校内で同校長と顔を合わせたことは全くない。

(8) 同1(七)のうち、昭和四九年五月二三日、事務室内において、同原告及び同校職員と同校長との間で話合いがあったことは認め、その余の事実は否認する。

2  原告大熊関係

(1) 同2本文の事実は否認する。

(2) 同2(一)のうち、被告主張の日時ころ、校長室において同原告を含む職員らと校長との間の話合いが持たれたこと、その際同原告が同校長の椅子を揺さぶったことがあることは認め、その余の事実は否認する。

(3) 同2(二)のうち、被告主張の日時、場所において校務委員会が開催され、同原告が同室に入ったこと、その際同原告が椅子を持ち込んだことは認め、その余の事実は否認する。

(4) 同2(三)の事実は否認する。

(5) 同2(四)のうち、被告主張の日時、場所において同原告を含む教職員らと校長との話合いが持たれたことは認め、その余の事実は否認する。

(6) 同2(五)のうち、被告主張の日時、場所において、同原告を含む教職員と校長との話合いが持たれたこと、その際同原告が書類を手にしてこれで机上を数回たたいたことは認め、その余の事実は否認する。

(7) 同2(六)の事実は否認する。

(8) 同2(七)の事実は否認する。

(9) 同2(八)の事実は否認する。

(10) 同2(九)のうち、被告主張の日時において、校長室で話合いが持たれ、席上同原告が同校長に対し「辞表を書け。」と発言したことは認め、その余の事実は否認する。

(11) 同2(一〇)のうち、被告主張の日時、場所において、同原告を含む同校教職員らが同校長に対し、交渉に応ずるよう求めたことは認め、その余の事実は否認する。

3  同3のうち、原告大熊に対する公訴が提起され、罰金刑が確定している事実は認め、その余は争う。

五  再抗弁(懲戒権の濫用)

仮に被告主張の処分理由事実の一部又は全部が存在したと認められるとしても、原告らに対する本件各処分は、次に述べる理由により、懲戒権を濫用したものとして違法であり、取り消されるべきである。

1  原告林川について

(一) 本件処分において問題とされている同原告の行動は、昭和四九年一月二五日の件(抗弁1(三)の事実)は別として、すべてが福岡県高等学校教職員組合(以下「高教組」という。)築上支部(以下「築上支部」という。)築上東分会及び同原告を含む教職員に対する内尾校長の極めて不誠実な、乱暴で、横柄な態度に起因する右分会とのトラブルの中でのものである。

したがって、これに触発された同原告を含む教職員らに多少の粗暴な行き過ぎた言動があったとしても、それのみを形式的に切り離して懲戒処分の事由として評価するのは著しく不公正といわなければならない。

(二) 更に、原告林川のみが懲戒免職という最高の処分を受けているのは極めて不公平であり、恣意的な措置というべきである。即ち、本件処分の重要な資料となっていると解される内尾校長の供述によれば、前記昭和四九年一月二五日の件はともかく、本件処分の理由となっているすべての紛争において、築上支部及び築上東分会の役員である坪根、山本武弘、三谷らは、ほとんどすべての場合同原告と行動を共にし、同校長に対しては、同原告のそれと全く同様に評価されるはずの非違行為を行っていることになる。しかも、右三名の役員の行動と原告林川の行動とは全く別個独立になされたものではなく、一体として、組織的集団的になされたものとされている。ところが、右三名の役員に対して原告林川とほとんど同一の理由を持って同時になされた懲戒処分は、いずれも減給(一〇パーセント)六カ月というものであり、なにゆえに同原告のみに、はるかにかけ離れて重い、懲戒免職という処分を選択したのか、その合理的な説明は本件においては全くなされていない。こうした処分の量定は、甚しく公平の原則に反するといわなければならない。

(三) 以上の理由及び原告林川に関して認定し得る処分理由事実と懲戒免職という処分の程度との均衡などを総合して考慮すれば、本件処分は、社会観念上著しく妥当性を欠き、処分権者に認められた裁量権を逸脱したものとして違法というべきである。

2  原告大熊について

(一) 本件において、原告大熊に対する具体的な処分理由とされている行為は一〇件に及ぶが、同原告に対する本件処分の重要な資料となっていると解される中村校長の供述によれば、このうち半数を超える六件については、同原告はその同僚である浮羽工業高校の実習助手桑野恭彰とともに同校長に対する暴行ないし違法な行為を加えたことになっている。ところが、右桑野は、原告大熊が本件処分の発令を受けた昭和四九年八月一二日に、同原告と同時に「減給六ケ月」の懲戒処分を受けたにとどまっている。これは、いかにも処分の均衡を失している。

(二) また、本件で具体的に問題となっている各行為において、原告大熊のとった行動は桑野をはじめ他の職員とさほど変わるところがなかったものであり、一つ一つの行為はいずれも、ささいなものであって、同原告の単独行為とされるものは、数も少なく、処分裁量上、異例の考慮をすべき行為もない。

(三) これらを考え合わせた場合、原告大熊に対してのみ懲戒免職処分の極刑をもってのぞみ、桑野は減給処分にとどまり、他の関与した職員には一切処分すらないというのは、被告の裁量権行使として明らかに著しく均衡を失するものであり、懲戒権を濫用したものであって取消しを免れない。

六  再抗弁に対する認否

争う。

第三証拠

証拠関係は、本件記録中の書証目録及び証人等目録に記載のとおりであるから、これを引用する。

理由

一  請求の原因1及び同2の事実については、いずれも当事者間に争いがない。

二  そこで、抗弁事実について以下判断する。

1  原告林川について

(一)  同原告の経歴等

同原告本人尋問の結果(第一回)によれば、同原告は、昭和二五年五月に北九州市立鎮西中学校の教諭となり、昭和二八年四月には福岡県立築上農業高等学校の教諭に、昭和四一年からは築上東高校の教諭にそれぞれなったこと、この間、同原告は、昭和四四年度に築上支部築上東分会(以下、本項においては「分会」という。)の分会長を、昭和四五年度には築上支部の支部長を、昭和四六年度には同分会の副分会長をそれぞれ歴任したが、その後は組合役職には就いていないこと、校務分掌に関しては、同原告は職員会議における選挙により昭和四八年度は総務部長に、昭和四九年度は教務部長にそれぞれ選出されたこと、旁ら同原告は、昭和三九年八月に明泉寺(浄土真宗)の住職となり、爾来継続してその地位にあることを認めることができ、右認定に反する証拠はない。

(二)  本件に至る経緯

(人証略)の各証言、原告林川本人尋問の結果(第一、第二回)によれば次の事実を認めることができ、右認定に反する証拠はない。

築上東高校においては、昭和四八年四月当時、約三五名の教職員が勤務し、そのうち校長と教頭以外の教諭は全員高教組の組合員であったところ、当時の教頭である内尾捨三郎は、昭和四五年度から職員会議における選挙により総務部長に選出されるとともに被告から教頭に充てられていた。ところが、同人は、昭和四八年度の校務分掌の選挙においては総務部長に選出されず、原告林川が総務部長に選ばれたため、従前と異なり昭和四八年四月以降は、教頭と総務部長が別々になるという事態が生じ、従来の教頭の職務は、実質上原告林川が行い、教頭たる右内尾がこれに当たることはできなかった。そして、同年四月、前田博が築上東高校校長に就任した際、分会は、これに対していわゆる着任拒否闘争を行ったが、同校長は、病気等を理由に着任後まもなく出校しなくなり、同年九月一七日、被告は、内尾捨三郎を校長職務代理に発令した。

当時築上東高校では、いわゆる「全員必修クラブ」の実施をめぐって内尾校長職務代理と分会との間で対立を生じていたが、右内尾はクラブ活動企画運営委員を任命したり生徒に対する希望クラブのアンケート調査を行うなどして、右実施に向けての準備を強力に押し進めて行った。右経過の中で昭和四八年一二月二四日(午後)、右内尾は、被告から築上東高校の校長に任命され、同時に久恒環教論が同校教頭に任命された。

(三)  抗弁1(一)記載の事実について

(証拠略)によれば次の事実を認めることができる。

分会は、昭和四八年一二月二四日午前、内尾校長職務代理に対しいわゆる必修クラブ活動について同月二八日に分会交渉に応じるよう申し入れ、その承諾を得たが、同日午後に同人に対する校長の発令がなされたところから、原告林川は、同月二八日午後二時ころ、築上東高校事務室において、内尾校長に対し、分会員七、八名とともにその周りを取り巻いた上、同月二四日付で発令された校長昇任の件についての話合いを強要し、同校長がこれを拒絶するや、他の分会員に対し、「さあ、隣の談話室に連れて行こうや。」と呼びかけ、右分会員らとともに交互に同校長を押したり引っ張ったりしながら、机や扉にしがみついて必死に抵抗する同校長を無理矢理談話室に連れ込んだうえ、同室の出入口前に右分会員らが立ちはだかり扉に施錠するなどして出入口を封鎖し、同校長を同日午後三時一〇分過ぎころまで同室に軟禁した(なお、この間、午後二時五〇分ころ、内尾校長は外部から掛った電話の応対に出ることは許され、一旦談話室を出て隣の事務室へ行ったものの、右通話終了後は、再び原告林川ら分会員によって無理矢理談話室へ連れ戻された。)。

この点に関し、原告林川は、その本人尋問において、教諭は一二月二五日以降は登校しないのが習わしであり、かつ、同月二八日には自分が住職をしている明泉寺において、御正忌と呼ばれる親鸞上人命日の法要が取り行われていたから登校していなかった旨供述し、(人証略)の各証言中これに副う供述部分も存するが、しかしこれらは右認定に供した各証拠に照らしてた易く信用することができず、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。

(四)  抗弁1(二)記載の事実について

昭和四九年一月八日午前八時三〇分ころ、築上東高校玄関付近で原告林川が同校長に向かって一時発言したこと、その後、談話室で同校職員らと同校長との間で話合いが行われ、同原告が一時その場で発言したことはいずれも当事者間に争いがなく、右争いのない事実と、(証拠略)によれば、次の事実を認めることができ、(証拠判断略)、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。

分会は、昭和四九年度の第三学期の開始に際し、昨年末に校長としての発令があった内尾校長に対して、いわゆる着任拒否闘争を行う方針を立てた。原告林川は、右方針に従い、昭和四九年一月八日午前八時三〇分ころ、築上東高校玄関付近において、登校してきた同校長に対し、同分会役員、築上支部役員ら一二、三名とともに同校長に対し口々に「何しに来たか。」「お前の来るところじゃない。」などと言いながらその進路に立ち塞がり、更に同校長が右分会役員らの間をかいくぐって校舎内に入ろうとするや同原告は「何を横着するか。こい、俺がたたきのめしてやる。」などと大声で怒鳴るなどして午前八時五〇分ころまで約二〇分間同校長の登校を妨害した。その際、同校長が着任拒否闘争の応援に来て同校長の面前に立ちはだかっていた福岡県立築上農業高等学校の豊田教諭に対し、「こまいのがうろちょろするな。」と言ったことが差別発言に当るとして同教諭らから抗議がなされ、更に同原告が「中に入って話し合おう。」と言ったことがきっかけとなり、分会側は同校長の右発言をめぐっての話合いのため、いったん同校長を校舎内に入れることにした。ところが、同校長が分会側の要求に反して談話室での話合いを拒み、校長室に行こうとしたため、原告林川は、同日午前九時ころ、分会員ら七、八名とともに、同校長を押したり引っ張ったりしながら無理矢理談話室に連れ込んだ上、同一〇時ころまで豊田教諭に対する右発言について執拗に抗議をしたが、その際、同原告は同校長をソファーに突き倒したり、ネクタイの両端をつかんで引っ張ったりする暴行を加え、同校長がこれを非難するや「俺が殴るといったらこんなもんじゃきかない。」などと言いながら、更に右手を振り上げたり、同校長を椅子に突き倒すなどの暴行を加えた。

(五)  抗弁1(三)記載の事実について

昭和四九年一月二五日午前八時三〇分ころ、内尾校長が原告林川に対し、同月二八日か二九日に被告のもとに行くよう言ったことは当事者間に争いがなく、右争いのない事実と(証拠略)によれば次の事実を認めることができ、(証拠判断略)、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。

内尾校長は、被告の教職員課人事管理主事から原告林川の服務の件で事情を聴取するため同原告を同課へ出頭させるよう要請されていたため、昭和四九年一月二五日午前八時三〇分ころ、築上東高校職員室において、同原告に対し、同月二八日又は二九日のいずれかの日に右教職員課へ出頭するよう指示したところ、同原告は、「何を言うか。」などと暴言を吐いた上、右手の先で同校長の左胸を強く突く暴行を加えた。

(六)  抗弁1(四)記載の事実について

昭和四九年一月二八日、原告林川を含む築上東高校教職員らが事務室で内尾校長に対して話合いを求めたこと、その際同原告が自分のライターを点火したことは当事者間に争いがなく右争いのない事実と(証拠略)によれば次の事実を認めることができ、原告林川本人尋問の結果(第一、第二回)中右認定に反する部分は前掲各証拠に照らして採用することができず、他に右認定を覆すのに足りる証拠はない。

内尾校長は原告林川が前述のように教職員課への出頭の指示に対して暴言を吐いたり暴力を振るうなどしてこれを拒否するような態度をとり、昭和四九年一月二六日も始業時までに登校しなかったところから、右指示を徹底させるべく、同日改めて、人を介し同月二八日又は二九日のいずれかの日に教職員課長の許へ出頭するよう命ずる旨の職務命令書を同原告の自宅に届けさせたが、不在のため、同書面は同原告方の玄関口に置かれたままとなった。他方、原告林川は、内尾校長に指示された出頭日を誤解して同月二六日に教職員課へ出頭したため、担当者からの事情聴取を受けることができず、目的を達しないまま帰宅して、前記職務命令書を発見し、同月二八日午前九時一〇分ころから同一〇時ころまでの間、築上東高校事務室において、内尾校長に対し、分会員八名位とともに同校長が同原告の自宅に届けた前記出頭命令書の件に関して話合いを強要し、同校長を談話室に連れ込もうとしたが、その際、椅子に掛けていた同校長の右腕を両手で抱え込んで強引に引っ張り上げたり、同校長が煙草を口にくわえると「お前はよう煙草を吸うのお。俺が火をつけてやろう。」などと言いながらその顔面に所携のライターを近づけて四、五回点火するなどして同校長を畏怖させ、更には同校長の右足首を蹴るなどの暴行を加えた。

同原告は同日午前一〇時ころ、「さあ、俺と話そうや、さあ来い。」と言いながら再び同校長の右腕を両手で抱え込み、前記分会員らとともに同校長を押したり引っ張ったりしながら談話室に連れ込もうとしたが、同校長が扉に手を掛けるなどして抵抗したため、その目的を達しなかった(なお、原告林川は、結局右命令には従わず、その後教職員課には出頭していない)。

(七)  抗弁1(五)記載の事実について

昭和四九年三月二六日午前一〇時三〇分ころから同一一時二〇分ころまでの間、築上東高校校長室において、原告林川を含む同校職員と内尾校長との間で話合いが行われたことは当事者間に争いがなく、右争いのない事実と(証拠略)によれば次の事実を認めることができ、(人証判断略)、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。

昭和四九年三月二六日午前一〇時三〇分ころから同一一時二〇分ころまでの間、築上東高校校長室において、そのころ昭和四九年度の教務部長に選出されていた原告林川を含む分会員一五、六名と内尾校長とが昭和四九年度の時間割編成等について話合いをしていたが、右話合が平行線をたどり決着の見込みが立たず、午前一〇時五〇分ころ、同校長が「話合いはこれまでにする。」と言ったところ、分会員数名が同校長の退席を阻止し、その際、同原告は、同校長に対し「お前みたいな者を打ち殺すのは訳はないんだぞ。」などと脅迫的言辞を弄するとともに、同校長の掛けていたソファーを蹴ったり、傍にあったクッションを右手に持って振り上げるなどの暴行を加えた。

(八)  抗弁1(六)記載の事実について

昭和四九年四月一〇日午後一時二〇分ころ、築上東高校職員らが校長室に行き、内尾校長に対して話合いを申し入れたことは当事者間に争いがなく、右争いのない事実と(証拠略)によれば次の事実を認めることができる。

原告林川は、昭和四九年四月一〇日午後一時二〇分ころ分会員四、五名とともに築上東高校校長室において、内尾校長に対し、翌日に予定されていたストライキについての話合いを申し入れ、同校長が勤務時間終了後は兎も角今は勤務時間中であるから応じられないとして拒否するや、右分会員ともに同校長の前に立ち塞がり、午後一時四五分ころまで、不当介入をしないこと、職務命令を出さないこと及び被告への報告書を提出しないこと等を要求して分会交渉に直ちに応じるよう強要し、その際、同原告は同校長をソファーに突き倒すなどの暴行を加えた。

原告林川は、この点に関し、その本人尋問において、当日は中津市内で午後五時開催予定の歓送迎会の幹事として、その準備のため午後一時四〇分ころ帰宅したので前記交渉には出席していないし、当日は内尾校長には会ってさえいない旨供述し、(人証略)の各証言中にもこれに副う供述部分が存するが、右各供述部分は右認定に供した各証拠に照らしてた易く信用することができず、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。

(九)  抗弁1(七)記載の事実について

昭和四九年五月二三日、築上東高校事務室において、原告林川及び分会員と内尾校長との間で話合いがなされたことは当事者間に争いがなく、右争いのない事実と(証拠略)によれば次の事実を認めることができ、(人証判断略)、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。

内尾校長は、昭和四九年五月二二日に被告教職員課の村田人事管理主事から、原告林川、山本武弘教諭、坪根教諭及び三谷教諭の四名を同月二四日及び同月二七日の二回に分けて二名ずつ同課まで出頭させるよう要請されていたところから、同月二二日、まず、校長室に来合わせた坪根教諭に都合を尋ね、同教諭から同人及び三谷教諭の両名とも同月二四日は会議等で都合が悪いとの返事であったため、山本教諭と二二日当日欠勤していた原告林川を二四日の出頭日に割り当てることとした。そこで内尾校長は、同月二三日午前一一時三五分ころ、原告林川に対して同月二四日午後三時までに指導第一課長のもとへ出頭するよう命じたところ、同原告から、同日は隣村での葬式に僧侶として出席するため年休をとるつもりであると断わられ、いったんは出頭命令を留保したが、同校職員らに右事実の有無を問い合わせ葬儀を行う家は同原告の門徒ではなく、宗派も異なるとの話を聞き及び、改めて、文書で職務命令を発することとし、同月二三日午後三時四〇分ころ、同原告及び山本教諭に対し、翌二四日午後三時までに指導第一課長のもとに出頭すべき旨の命令書を各自に交付した。

ところが、原告林川は、同日午後三時四〇分すぎころ山本教諭を含む分会員五名とともに事務室に行き、同校長に対し出頭命令に抗議して話合いを強要し、その際、同原告は椅子に掛けていた同校長の首に右腕を巻きつけて強く引っ張ったり左手を引っ張ったりするなどの暴行を加えたため、同校長は難を避けるべくスリッパをはいたまま同室を出て玄関から校外へ逃れた。因みに同校長は、右暴行の結果三〇日間の安静加療を要する頸椎捻挫の傷害を負った。

2  原告大熊について

(一)  同原告の経歴等

(人証略)の証言、原告大熊本人尋問の結果によれば、同原告は、昭和三八年に浮羽工業高校実習助手となり、以来同校に機械科実習助手として勤務するとともに、高教組浮羽支部(以下「浮羽支部」という。)浮羽工業分会(以下、本項では「分会」という。)に所属していたが、この間、組合役職としては、昭和四六年度には浮羽支部青年部長を、昭和四七年度には高教組実習職員部常任委員を、昭和四八年度には同実習職員部副部長を、昭和四九年度以降は同実習職員部部長をそれぞれ歴任したことを認めることができ、右認定に反する証拠はない。

(二)  本件に至る経緯

(人証略)の証言、原告大熊本人尋問の結果によれば、昭和四七年四月一日浮羽工業高校の校長に任命された中村校長は、その着任に際し、分会からいわゆる着任拒否闘争を受け、その後も、分会との間で、実習助手のクラス担任の可否、いわゆる全員必修クラブの実施、校務分掌の決定方法及びこれに基づく校務運営等をめぐって対立状態が続いていたことを認めることができ、右認定に反する証拠はない。

(三)  抗弁2(一)記載の事実について

昭和四八年三月二日午後一時三〇分ころから同八時三〇分ころまでの間、浮羽工業高校校長室において、原告大熊を含む同校職員らと中村校長との間で話合いが持たれた際、同原告が同校長の椅子を揺さぶったことは当事者間に争いがなく、右争いのない事実と(証拠略)によれば、次の事実を認めることができ、(人証判断略)、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。

原告大熊は、昭和四八年三月二日午後一時三〇分ころ、和田分会長を始めとする分会員ら約三〇名とともに浮羽工業高校校長室に押しかけ、中村校長に対し、同年二月一日改正の福岡県立学校管理規則(以下「管理規則」という。)を不服として従前どおり同校校務運営規定を遵守して校務分掌は選挙で決定したところに従い運用するよう求めて分会との交渉を要求したが、同校長が校務分掌は管理運営事項であって分会との交渉事項にはなじまないとして交渉を拒否すると、更に同日午後八時三〇分ころまで執拗に交渉ないし話合いを強要したが、その間、同原告は同校長におおいかぶさるようにして怒声を浴びせかけるなどし、また、同校長が掛けていた一人掛けの応接椅子を何回も手で揺さぶったり、断続的に二〇数回にわたって蹴るなどし、果ては、右椅子を前から持ち上げて椅子ごと同校長を後方に転倒させるなどの暴行を加えた。

(四)  抗弁2(二)記載の事実について

昭和四八年三月一三日午後三時ころから浮羽工業高校校長室において校務委員会が開催されたこと、その際原告大熊が同室に椅子を持ち込んだことはいずれも当事者間に争いがなく、右争いのない事実と、(証拠略)によれば、次の事実を認めることができ、(人証判断略)、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。

原告大熊は、昭和四八年三月一三日午後三時ころ、浮羽工業高校校長室において、中村校長が同年度の校務委員会を開催しようとした際、校務委員でもないのに、選挙で選ばれた翌年度の新校務委員と称する分会員らと相前後して同室に無断で立入り、同校長の退去要請をも無視して、同室内にあった会議用の机を隣室に運び出したうえ、折りたたみ椅子を運び込むなどして同委員会の開催を妨害し、更に同原告らに軟禁されることをおそれた同校長及び打合せのため校長室に来合わせていた後藤教頭が退室しようとするや同原告は付近にいた分会員二四、五名とともに同校長らを取り囲み、その腕を取るなどして同室に連れ戻し、分会側の主催する校務委員会のオブザーバーとして同席させ、同委員会終了後は引き続き校長交渉の当事者として、在席させるとの名目のもとに同日午後七時四〇分ころまでの間、全員でその退室を阻止して同校長らを軟禁状態の下に置いたが、その際、同原告は同校長の掛けていた回転椅子を断続的に何一〇回となく蹴ったり揺さぶったりする暴行を加え、また、同校長がメモを取ろうとするとこれをのぞき込み、怒声を浴びせるなどして筆記を妨害した。

(五)  抗弁2(三)記載の事実について

(証拠略)によれば、次の事実を認めることができ、(人証判断略)、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。

昭和四八年四月三日は午前一〇時三〇分ころから浮羽工業高校会議室(視聴覚教室)において職員会議が開催されていたところ、同会議は、同校の昭和四九年度の定員、校務分掌及び実習助手が学級担任をすることの可否等の議題をめぐって当初から紛糾し、途中からは次第に分会による校長交渉の様相を強めるに至ったが、同日午後一〇時ころ、輪番制による職員会議の司会者が降壇した際、中村校長が同会議の打切宣言をするや、原告大熊は、同席していた分会員多数とともに、実習助手の学級担任問題等について、中村校長に対して執拗に校長交渉を強要した。

翌四月四日も校長交渉が行われ、同校長が午前〇時ころ、同三時ころ及び同五時ころの三回にわたって、右交渉の打切宣言をして会議室から退室しようとしたが、同原告は分会員約一〇名とともに出入口付近に椅子を並べてバリケードを築き、更に出入口に立ち塞がるなどしてこれを阻止し、同日午前一一時ころまで同校長及び後藤教頭を軟禁状態の下に置いたが、その間、同原告は同校長が掛けていた筆記机付きの折りたたみ椅子を多数回にわたって蹴ったり、同校長の耳元で「オーイ聞こえないのか。」などと怒鳴ったりし、また、退室しようとする同校長を、他の分会員とともに押したり突いたりして、同室の出入口とは反対側の隅に追い込み、その背中を二度にわたって壁際の窓枠に打ちつけるなどの暴行を加え、更には、同日午前一一時ころ同校長が後藤教頭の助けを借りて何とか同室を抜け出した際も、その背後から同校長を抱きとめ、上衣の左袖を引っ張るなどの暴行を加え、その結果同校長の上衣左袖の縫目部分が裂けるに至った。

(六)  抗弁2(四)記載の事実について

昭和四八年六月二五日午後五時ころから同八時ころまでの間、浮羽工業高校会議室において、原告大熊を含む同校教職員らと中村校長との話合いが行われたことは当事者間に争いがなく、右争いのない事実と(証拠略)によれば、次の事実を認めることができ、(人証判断略)、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。

原告大熊は、昭和四八年六月二五日午後五時ころから午後八時ころまで浮羽工業高校会議室において開催された、警察権介入をめぐる中村校長と分会との交渉の席において、全国工業高等学校校長協会から同校長宛て寄せられていた実習助手の処遇、待遇等の問題に関するアンケート調査について、同校長が同校の実習助手の意見を全く徴しないまま回答書を右協会に返送したことを不服として、他の実習助手らとともに同校長に対し強硬な抗議をしたが、その際、同原告は多数回にわたって同校長の掛けていた筆記机付きの折りたたみ椅子を蹴ったり、「お前の回答次第によっては今後我々の身分に非常に不利益な状態が生まれるかわからない。どう書いたか。」「我々に相談しなくて勝手にするとはけしからん。土下座して謝れ。」「アンケートを取り戻せ。」と怒号したりして同校長を威嚇した。

(七)  抗弁2(五)記載の事実について

(証拠略)によれば、次の事実を認めることができる。

昭和四八年七月二日、浮羽工業高校会議室において行われた職員会議の終了後、午後四時ころから同五時二〇分ころまでの間、同校会議室で開かれたいわゆる全員必修クラブ活動及び理科実習助手の二等級わたりの件等を議題とする中村校長と分会との交渉の席において、原告大熊は、同校長が説明の資料として所持していた全員必修クラブ活動についての手引書を取り上げた上、これを丸めて同校長の机上を一〇数回にわたって激しくたたいたり、同校長の掛けていた筆記机付きの折りたたみ椅子を蹴るなどの暴行を加えた。

この点に関し、原告大熊は、その本人尋問において、当日は午後一時すぎころから同四時前までの間中村校長出席のもとに職員会議が開催されたことはあるが、その後は分会員のみで分会会議を行い、同会議終了時の午後五時三〇分ころには同校長は不在であったため、分会と同校長との交渉は行われておらず、したがって同校長に対する暴力行為も全くなされていない旨供述し、(人証略)の証言中にはこれに副う供述部分も存するが、右各供述部分は、右認定に供した各証拠に照らしてた易く信用することはできず、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。

(八)  抗弁2(六)記載の事実について

(証拠略)によれば、次の事実を認めることができる。

原告大熊は、高教組の方針に従い被告による教育指導計画の審査に反対する立場から、右審査のため中村校長が職員会議の議を経ることなく自ら任命した教務部員の手で作成した浮羽工業高校全日制の昭和四九年度教育指導計画の提出を阻止すべく、昭和四九年三月二九日の朝、他の分会員らとともに福岡市中央区西中洲六番二九号所在の福岡県教育庁(以下「教育庁」という。)に出向いて、右指導計画の審査を受けるため来庁する同校長を待伏せ、同日午前一一時四〇分ころ、来庁した同校長を同所前庭売店横において、分会員ら一〇数名とともに取り囲み、口々に「職員会議の了解を得ない教育指導計画をどうして勝手に出すのか。」「教育指導計画を見せろ。」などと言いながら同校長の腕をとったり後ろから押したりして、同校長を同所売店北東側の植込みに連れ込んだ上、同所で同校長の鞄を奪って在中の「昭和四九年度の主要な校務分掌の任命について」と題する部外秘の報告書並びに全日制及び定時制の各「昭和四九年度校務分掌表」(これらはいずれも同年四月末日までに同校長が被告に提出すべき書類)を抜き取り、同校長の返還要求にも頑として応じようとはせず、なおも同校長に対し、前記指導計画の呈示を要求したが、前年度にも分会員から同様の妨害を受けた経験を持つ同校長は予じめ右指導計画を土師教諭に預けて自らは所持していなかったため、その奪取を免れた。なお右指導計画は、当日、中村校長に同行した土師教諭によって教育庁学校教育課指導主事に渡されたが、その審査に必要な同校長の立会が得られなかったため、当日の審査は未了に終った。

原告大熊は、この点に関し、その本人尋問において、中村校長から鞄を奪ったことはなく、同校長の同意を得た上で前記書類を取り出し、これを預ったものである旨及び同校長に対し暴力行為には及んだ事実はない旨供述し、(人証略)の証言中にはこれに副う供述部分も存するが、右各供述部分は右認定に供した各証拠に照らしてた易く信用することができず、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。

(九)  抗弁2(七)記載の事実について

(証拠略)によれば、次の事実を認めることができる。

原告大熊は、昭和四九年三月三〇日も前日と同様に教育指導計画の審査を阻止するため、朝から教育庁前庭で分会員とともに同校長を待ち受け、同日午前一一時四〇分ころ、同所売店横において、全日制及び定時制の各教育指導計画の審査を受けるため来庁した同校長を分会員ら約二〇名とともに取り囲み、口々に「職員会議の了解を得ない時間割をどうして出すのか。」「指導計画を見せろ。」「お前はばかじゃないのか。」などと言いながら、同校長の腕をとったり後ろから押したりして、同校長を同所売店北東側の植込みに引きずり込み、同日午後三時ころまでの間、同校長の耳元で「聞こえんのか。」と怒鳴ったり、左右の脇腹を肘で何回となくこづいたり、所持していた鞄を奪い取ろうとしあるいは、あんまと称して首筋や背中をたたいたり、背中を下から上へこすり上げたり、襟首や首筋をつかんで後方に引っ張ったりするなどの暴行を加え、同校長の公務の遂行を妨害した。

その後、当日同行していた後藤教頭に鞄を預けて食事に行くことを許された中村校長が、その機会を利用して定時制の教育指導計画及び前日教育庁学校教育課に預けておいた全日制の教育指導計画の各審査を終え、午後五時ころ同庁舎から出たところ、原告大熊は分会員約一〇名とともに再び同校長を取り囲み、前同様前記植込みに連れ込んだ上、同日午後九時ころまで、同所及び前記前庭のロータリー付近等で定時制の審査内容及び全日制の教育指導計画の審査予定等についての報告、全日制の審査を終えたことへの抗議等を強硬かつ執拗に繰返した。その際、同校長が全日制の教育指導計画の審査まで終えたことに激昂した原告大熊は、前記植込みにおいて、同校長の脇腹を肘で何回となく突いたり、襟首をつかんで後方に引っ張ったりする暴行を加え、更に、その場に蹲った同校長を立ち上らせ提出済みの教育指導計画を取り戻すよう要求して同校長を教育庁庁舎の方へ連行する途中、左右の大腿部を蹴り上げる暴行を加え、前記ロータリー付近に移動した際にも、同校長に対しその脇腹を数回にわたってこづいたり、背中をたたいたり、顎を手で突き上げるなどの暴行を加えた。

この点に関し、原告大熊は、その本人尋問において、当日は中村校長のためあんまをしようとその背中を五、六回たたいたり、二、三回さすったり、話を聞いてもらうために後ろから同校長の肩の背中辺りに触ったことがあるだけで、それ以外に同校長に対し暴行を加えたことは全くない旨供述し、(人証略)の証言、その成立と原本の存在及びその成立に争いのない(証拠略)中にはこれに副う供述部分ないし供述記載が存するが、これらは、右認定に供した各証拠に照らしてた易く信用することができず、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。

(一〇)  抗弁2(八)記載の事実について

(証拠略)、によれば、次の事実を認めることができ、(証拠判断略)、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。

中村校長は、昭和四九年四月九日、各分会員に対し、全日及び早朝二時間のストライキを予定していた同月一一日及び一三日の各当日は正常に勤務に服するよう職務命令書を交付したところ、分会側から右ストライキの件について話合いの申し入れを受け、分会役員との間で、あらかじめ後藤教頭を介して予備接渉を行ったうえ、同月一〇日午後四時から校長室において、ストライキの件に限定して六〇分ないし九〇分間の予定で、同校職員との分会交渉に応ずることを合意した。

右分会交渉は、同月一〇日の当日になって、予定を変更し、会議室において同日午後三時三〇分ころから分会員多数出席の下に実施され、その席上分会側は、中村校長に対し、右職務命令の撤回と、被告への報告書不提出を要求したが、同校長はこれに応じず、話合いは平行線をたどった。原告大熊は、同日午後四時一〇分ころ右交渉の席に遅れて出席し、椅子を持って同校長の脇に座り、同校長の掛けていた筆記机付きの折りたたみ椅子を蹴るなどしたことから、会場は混乱するに至った。その後、九〇分の予定時間が経過した同日午後五時一五分ころ、同校長が交渉打切りの宣言をして退室しようとすると、原告大熊は、分会員数名とともに同五時四五分ころまで約三〇分間、その退室を妨害し、この間、重ねて打切り宣言をした後藤教頭に対しても、その左下腿部を数回蹴ったり、上衣左襟をつかんで揺さぶったりする等の暴行を加え、また会議室を出た同校長の跡を追って背後から、これを羽交締めにして同室に連れ戻そうとするなどの暴行を加えた。

(一一)  抗弁2(九)記載の事実について

昭和四九年五月二日午後三時ころから浮羽工業高校校長室で話合いが行われたこと、その席上、原告大熊が中村校長に対して「辞表を書け。」と発言したことはいずれも当事者間に争いがなく、右争いのない事実と(証拠略)によれば、次の事実を認めることができ、(人証判断略)、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。

浮羽工業高校では、総務及び教務関係の教職員のために総務・教務職員室として特に一室を確保していたところ、中村校長の任命により決定した校務分掌とは別に、選挙によって選出された総務部長、教務部長をはじめとする各部員(分会員)が右職員室を専用し、同校長の任命にかかる総務部長、教務部長以下の各部員が同室を使えない状況が続いていたため、中村校長は、昭和四九年四月当初から、選挙によって選出された右各部員(分会員)に対し、再三にわたり同室を退去して明け渡すよう要請し続けていた。

そして中村校長が右総務・教務職員室を事実上占拠していた分会員一〇名各自に対して、同月四日までに明け渡すことを命じる職務命令書を交付すべく、昭和四九年五月二日午後二時五〇分ころ、後藤教頭とともに校内を巡回中、原告大熊は同校建築科職員室前廊下において、分会員七、八名とともに同校長を取り囲んだうえ、右職務命令の撤回を要求して同校長を押したり引っ張ったり突いたりし、更に同校長を実習室に引きずり込もうとしてその腕をつかんで押したり引っ張ったり突いたりするなどの暴行を加え、そのため同校長は廊下に尻もちをついたり、コンクリート柱で背中を二、三回強打する仕儀となった。また、原告大熊は、同日午後三時ころ同校校長室に引き揚げた中村校長に対し、分会員多数とともに前記職務命令の撤回を要求して話合いを強要し、その際同校長に対し、「バカムラ、お前はウスバカではないか。こんなに混乱させて校長が務まるのか。俺の前で辞表を書け。」などと暴言を吐きながら同校長の掛けていた肘掛椅子を揺さぶったり、その片側を持ち上げて床に落としたり、同校長の所持していた書類を奪取しようとしたり、退室しようとする同校長の背後からこれを羽交締めにするなどの暴行を加えた。

(一二)  抗弁(一〇)記載の事実について

昭和四九年六月二四日午後七時三〇分ころから同一二時ころまでの間、浮羽工業高校校長室において、原告大熊を含む同校教職員らが中村校長に対し、分会交渉に応ずるよう求めたことは当事者間に争いがなく、右争いのない事実と(証拠略)によれば、次の事実を認めることができ(人証判断略)、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。

原告大熊は、昭和四九年六月二四日午後七時三〇分ころから同一二時ころまでの間、浮羽工業高校校長室において、分会員三〇名ないし四〇名とともに理科実習助手の二等級わたりの件につき分会交渉に応じるよう強要した際、同校長の耳元で「おーい、お前いつからつんぼになったか。」などと怒鳴り、同校長の眼鏡を取り上げ、掛けていた椅子を蹴ったり揺さ振ったりし、また桑野実習助手とともに同校長の背中を押えつけて約二時間にわたって前かがみの姿勢のままにさせたりするなどの暴行を加え、同校長が退室しようとすると、分会員数名とともにその前に立ちはだかってこれを妨害した。

(一三)  原告大熊が抗弁2(九)及び(一〇)の各事実につき公訴を提起され、罰金刑が確定したことは当事者間に争いがないところ、右争いのない事実と(証拠略)によれば、同原告は、中村校長に対する昭和四九年三月三〇日の、後藤教頭に対する同年四月一〇日の各暴行の事実につき、いずれも暴行罪として昭和四九年九月二日福岡地方裁判所に公訴を提起され、昭和五二年一一月一四日、同裁判所において、同原告を罰金七万円に処する旨の判決の言渡しを受け、控訴、上告後、それぞれ控訴棄却の判決、上告棄却の決定を受け、右第一審判決が確定したことを認めることができ、右認定に反する証拠はない。

3  以上に認定した事実によれば、原告らにはいずれも地公法二九条一項三号所定の「全体の奉仕者たるにふさわしくない非行のあった場合」に該当する事由があるというべきである。

三  次に、再抗弁事実(懲戒権の濫用)についてみるに、地方公務員に法定の懲戒事由がある場合、懲戒権者が当該公務員を懲戒処分に付すべきかどうか、また、懲戒処分をするときにいかなる懲戒処分を選択すべきかを決するについては、公正でなければならない(地公法二七条)ことはもちろんであるが、懲戒権者は懲戒事由に該当すると認められる行為の原因、動機、性質、態様、結果、影響等のほか諸般の事情を考慮して、懲戒処分に付すべきかどうか、また、懲戒処分をする場合にいかなる処分を選択すべきかを決定できるのであって、それらは懲戒権者の裁量に任されているものと解される。したがって、右の裁量は恣意にわたることをえないことは当然であるが、懲戒権者が右の裁量権の行使としてした懲戒処分は、それが社会観念上著しく妥当を欠いて裁量権を付与した目的を逸脱し、これを濫用したと認められる場合でない限り、その裁量権の範囲内にあるものとして違法とならないものというべきである(最高裁判所昭和五二年一二月二〇日第三小法廷判決・民集三一巻七号一一〇一頁参照)。

これを本件についてみるに、原告らは、それぞれ前記二の1及び2で認定したとおり、原告林川について昭和四八年一二月二八日から昭和四九年五月二三日までの間七回にわたって、原告大熊については昭和四八年三月二日から昭和四九年六月二四日までの間一〇回にわたって、いずれも当時の上司であった校長ないし教頭に対して積極的かつ執拗に暴行、脅迫を加え、義務なき行為を強要して、その公務の遂行を妨害したものであることが明らかである。

成立に争いのない(証拠略)によれば、原告らに対する本件各処分該当事実の一部に関与した者として、築上東高校関係では、同校教諭坪根侔、同山本武弘及び同三谷敏彦並びに福岡県立築上農業高等学校教諭豊田利美が、いずれも減給六月の懲戒処分を、浮羽工業高校関係では実習助手桑野恭彰が同じく減給六月の懲戒処分をそれぞれ原告らと同一年月日に受けたことを認めることができるが、原告らの前記各言動は、その性質、態様、程度及び情状に照らすと、甚だしく常規を逸し、およそ教職に携わる公務員に相応しくない言動というほかはなく他の被処分者及び何ら処分を受けなかった者との権衡を考慮し、更には、免職処分が教諭ないし実習助手としての地位を失わしめる重大な結果をもたらすもので、慎重な配慮を要するものであることを考慮に入れてもなお、原告らに対する本件各処分が社会観念上著しく妥当を欠くものとは思われないし、他にこれを認めるに足りる事情も見当たらないから、本件各処分が懲戒権者に任された裁量権の範囲を超え、これを濫用したものと判断することはできない。

したがって、原告らの再抗弁は採用することができない。

四  よって、本件各処分には違法な点がなく、右各処分の取消しを求める原告らの本件各請求は、いずれも理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担について行政事件訴訟法七条、民訴法八九条、九三条一項本文を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 藤浦照生 裁判官草野芳郎は、転任のため、裁判官奥田正昭は、長期海外出張のため署名、捺印することができない。裁判長裁判官 藤浦照生)

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